
2.13 2025
春が待ち遠しくてたまらない。今年の冬はやはりいつもより厳しいと思うのは歳のせいか、それとも事実なのか。両方だとは思うが自身のダメージはかなり深刻である。「今年は堪えるなぁ!」しみじみと思う。持病にこの寒さはいかにも都合が悪く、早朝散歩も控えている。
2.12 2025
青空にお日さまが顔を出し、暖かい一日となりそうな気配である。そう思い高車に乗り仕事に出掛けた。しかし現場は北面、お日様は一切当たらない。多分一日中こうなのだろう。とにかく寒く手がかじかむ。やはり仕事は手袋は履かない方が効率がいい、それがいけなかった。
2.11 2025
お日様が出るとこうも気持ちが変わるものか。昨日の青空は、この間からの寒さから解放され心まで晴れやかになる。外の水道が凍っているから、やはりかなり寒いのには変わりないのだろう。風の無さと太陽の光が身体も心も温かくしてくれる。どうなんだろう梅の花はもう蕾をつけているか、いやちらほら咲いているのでは?。
2.9 2025
先週末は遅くなってしまった弊社の新年会。皆思い切り食べて飲んで‥‥20時半、焼肉店のドアを開けるとそこはもう北国、猛吹雪である、。見る見るうちに白くなり、全く前が見えない車のハンドルを握りながらわが家を目指した。
2.7 2025
体調の回復が早い。正常に食事ができるようになってからの毎日は見違えるように元気になっている。身体の芯から力が漲り、食の大切さを痛感している。1年前に手術する前までの私は、食べれないものがたくさんあった。好き嫌いではなく、そのことによって引き起こされる、胃もたれ、胃痛、胸やけ、下痢等々。
2.6 2025
やっと普通のご飯が食べれるようになった。健康でいられるということはこんなにも有難いことなのか。たまには痛い目に遭うこともいいのでは?まぁそこまでは思わない、あの痛さだけはもうこりごりである。手術をした腸の傷痕が何かの拍子によじれ閉塞を起こすらしいとの医師の言葉。
2.3 2025
姉とは一回り違い。物心ついたころには姉の姿はなく、中学を卒業してすぐに集団就職で都会に出ていた。盆と正月に帰ってくるだけの人だ。しかし街で買ってくれる珍しい土産が楽しみでしょうがなかった。一緒に遊んだり勉強したりという経験はなく、姉というより大人という感じが強かった。
2.2 2025
腹の痛みに苛まれた朦朧とする意識の中で、亡くなった姉のことを思い出す。最後の顔も見れず見送ることもできないもどかしさ。親はいつかはこの日が来るものだと覚悟をしているものだが姉弟は違う。いつまでも一緒に居るものだと信じている。85歳といえば立派な老人である。そして大往生でもある。
2.1 2025
1月24日の夜、古里に住む長姉の訃報の知らせが入る。「明日行くね」と姪に約束をし準備を始めた。もちろん心の準備もできていない何とも複雑な心持である。ところがどうも胃の調子が良くない。それはだんだん痛みに替わり、日付の変わるころには七転八倒という表現があるがまさにそれである。
1.21 2025
いよいよトランプ大統領の再登場。さあどうなるのかお手並み拝見といったところか。人は皆最初はついつい期待をしてしまう。「ひょっとすると世界は変わるかも?」そんなに甘くはない。前任者と対照的だと余計に思ってしまうものだ。日本の石破さんの場合は全く期待してなかったけど。
Copyright © 株式会社マルアート All rights reserved.