
4.8 2025
桜の花びらが雪のように舞う。裏のお宮の桜も同じ、我が社のトイレの前も花びらで埋まっている。咲くときはきれいなのだが、掃除に大変なのもこの頃。河川敷を車で走ると若草と黄色い菜の花がなんともきれいである。この心地よい暖かさが一層いろどりを鮮やかにしているのだろう。
4.2 2025
今朝も寒く、少しの雨模様が余計に桜の花を寂しくしているように見える。一気に咲き誇ろうとしている出ばなをくじかれているように映る。桃の花も満開であるから他の花たちに先を越されそうで不安一杯の様でもある。絶対的に僕たちが一番なんだからと思っているはず。
4.1 2025
今日から4月、春爛漫と言いたいところだがこの寒さはいったいどういうことなのか。せっかく桜も咲いたというのに何の文句があるのお天道様。東京では雪マークもあるくらいだから北の人たちのそれは想像を絶するものがある。
3.31 2025
たくさんの人に見送られ、また隣近所の人たちが総出で助け合った葬儀の形がすっかり変わってしまった今.1周忌三回忌7回忌などと言う行事もまた同じく影を潜めてしまったような感じがする。もちろんするのだろうが家族のみというのが主流のようである。
3.28 2025
思いがけずいい天気で助かった。この週末雨は絶対に欲しくないと思っていたが予報は、木曜日、金曜日共に雨模様となっていた。降ったらどうしようと思いながら夜中に目が覚めると雨の音が聞こえる。実際には降ってないのだが気になってしょうがないのだろう後が眠れない。
3.27 2025
徳島にもやっと桜の開花宣言が出た。来週あたりは満開だろうし、たくさんの人たちの待ちわびた楽しそうな顔が目に浮かぶ。朝晩の寒暖の差もなくなりもう体の心配もない。体調も万全になったところで散歩も再開となった。ウグイスがきれいに、にぎやかに鳴いている。
3.26 2025
姉の49日法要は長男夫婦と長女とその子供たち、私のすぐ上の姉と家族だけのささやかな形で行われた。葬儀に参加できなかった私にとっては、亡くなってからの初めての対面である。と言っても姿形はなく小さくなった瀬戸物の容器のみと悲しい対面である。皆明るく笑顔が絶えない姿に接すると、時間の大切さを痛感する。
3.24 2025
中学の同窓会が故郷のホテルであった。中に入れば老人会の集い、会場間違えたかと一瞬戸惑う。よく見ると見慣れた顔が笑顔で迎えてくれる。「久しぶり、遠いところよう来てくれたな」懐かしい顔、顔、顔である。自分の顔は分からないからいつまでも若いつもりでいる。こちらもしっかりみんなの仲間なのである。
3.23 2025
新聞を取りに外に出る。弱い風が吹いているが決して寒くはない。「あっ春の風」と思わずそのまま動かずに体いっぱいにその風を満喫。目が覚め一番にすることは暖房の手配。どこもスイッチを押さない自分がいる。昨日までは一目散に3か所を押していた。エアコン、電気ストーブ、こたつである。
3.22 2025
一気に暖かくなってきた。今度こそ春本番は間違いないだろう。車を走らせちょっと眠くなると陽の当たる場所を探して車を止めたのは、ほんの数日前。昨日はもう暑くて日陰を探したぐらいだから季節の変化は相当なものである。テレビに映る人々の姿も昨日はコート、今日は半袖、という感じである。春は駆け足でやってきた。
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