夜、もう一度新聞を広げてみた。あるわ、あるわ読むところ。いや読み忘れが正しいか。昨日の新聞、一昨日の新聞も広げてみるが、こんなにも読めていないところがあったのかと驚かされる。「新聞は情報の米の飯」と五木寛之は言っているが、まさしくそのとうりだ!小さな頭にはなかなか収まり切れないのは分かっているが、とりあえず入れてみない事には話にならない。朝の忙しい時間に走り読みをしている習慣に、もうひとつ、夜もう一度新聞を広げる習慣を追加しよう。とは言っても毎日結構忙しく「時間が欲しい」「足りない」と思っている。しかしその忙しいと思っている時間の中には、「ゆっくり体も心も休める」そのような時間も入っているのだから・・・まぁ勝手なものである!