ミレーの落穂ひろいという有名な絵があるが、あれは落ちた麦の穂を拾っているのではなく、農場主が明日のパンにも困っている貧しい人のために、全部刈り取るのではなくわざと少しだけ残している宗教的な絵らしい。ヨーロッパ人にはそのような素晴らしい風習があった。それがどうだろう、いまウクライナでは人々の生活のすべてを奪おうとしている。それも根こそぎである。世界の大穀倉地帯ともいわれるウクライナも昔はそのような助け合いの精神があったのだろうと思う。悲しい映像が毎日流れ、目を覆いたくなる光景に心が痛む。人間は一体どっちなんだろう?天使?悪魔?長所と短所があるように多分両方の命があるのだろう。宗教、民族、思想の違いがあってもいい。むしろそれが自然であり、個性がないのはかえっておかしい。しかし破壊や殺りくは絶対にいけない。一日も早い停戦を!